TOP2005年記録

9月会山行

谷川連峰/万太郎谷井戸小屋沢右俣 (沢登り)

片山

【日時】2005年9月3日 (土)
【メンバー】(L)佐藤(耕)、高橋、今野、片山

前夜、テン場には雷が光っていた。明日も午後になったら雷がくるに違いない。なるたけ早朝に出発し、午後は早めに下りてくるように予定し、早々に就寝する。
 まだみんなが寝静まっている中、私達のパーティーは6時前にテン場を後にする。たどる谷川新道は、踏み後はあるのだが所々で不明瞭となり、探しながら井戸小屋沢右俣にたどり着く。
 ここからは快適に登れる小滝を超えて楽しい遡行……のはずなのだけれど、まともな沢が久しぶりの私は全然登れない。耕至さんがひとまたぎのところも引っぱりあげてもらい、押し上げてもらい、なんとか超えていく。
奥の二俣を分けてからだったか、連続した滝が続く所で直登が厳しそうだったので左岸に高巻いたところ、なかなか下りることが出来なくなった所があった。この時点で早朝出発したものの手間取ってしまい、予想以上に時間が過ぎてしまった。
 源頭が近くなった頃、にわかに空が暗くなる。1440m付近、ぽつりぽつりと雨が降り始める中、今野さんが二段の滝を登り始めるが、中段から先が厳しそうなので、耕至さんにロープをつけてもらい、その先をリードしてもらう。耕至さんが登っている間に雨は本降りとなり、他の3人は中段で雨具を出して身につけた。高橋さん、今野さん、片山の順に登って行く。最後の私が登るとき、細い水流だった滝は勢いよく水しぶきをあげていた。水圧に尻込みしそうになったが、早く越えないとますます悪い状態になるよなぁと思い、ロープに頼りながら登る。確保して下さった高橋さん、耕至さんの姿が見え、その先の方に今野さんがチラっと見えた。ロープを畳む間もなく、慌てて端の笹薮に寄る。「片山クン、あと1分遅かったら、やばかったね。」と言われ、目の前のヒョングリ状態の滝を見て、急に恐ろしくなる。頭ではわかっていても、実際にこんなに急変する沢を見た事がなかった。先ほどの滝の中段にいたときも登っている時も、私はそんなに危機感を持っていなかったように思う。こんなになるとは思っていなかったのだ。
 結局30分以上その状態がつづき、水がひき始めるのを待って、今野さんの張ってくれたロープを頼りにもう一段上まで登る。すっかり水が怖くなってしまい、腰が引けている状態で残りを遡行した。他のパーティーは大丈夫だったのか、心配だった。稜線で交信時間になり、既に今宵のテン場からのんびりした声で交信する石井君の声が入って来た時は拍子抜けする感じだったが、全員無事でホッとした。
 今回の会山行の印象は、あの鉄砲水一色になってしまった。改めて、自然って怖いなぁと思ったし、いい加減につきあったら痛い目に遭うよなぁと反省もした。

【行程】
土樽PA(上り)脇の大きな空き地〜吾作新道入口に駐車(6:00) 吾作新道入口〜谷川新道
   〜井戸小屋沢右俣出合(8:15)〜井戸小屋頭(14:40)〜吾作新道入口
【地図】茂倉岳、水上
【グレード】 2級上



増水時、どのような状況だったか、どのように行動したか


作成者:耕至、今野 【 】内は記録者
8時42分
 撮影した写真には、稜線がうっすらと見えている。 【耕至】
10時15分
 上記よりもはっきりと、稜線が見えている。【耕至】
11時45分
 11時半ごろからガスが間近に降りはじめ、奥ノ二俣から右俣へ入ったこのころには薄暗くなってくる。このころから稜線の方角で雷が鳴るのが聞こえ始め、まだ雨脚は見えないが、岩に落ちた大粒の雨滴が目立ってくる。【耕至】

(写真1 登攀中の片山)
12時02分
  標高1440m付近。7m滝を過ぎて、8mの落ち口に残置ハーケンのある二段の滝。このころは雨が降り出し昼とは思えない暗さ。デジカメのデータではフラッシュが自動発光している。中段から耕至が残置ハーケンを利用して登り、滝落ち口の樹に支点をとってロープを固定して降ろす。高橋・今野の順にアッセンダーで登る。【耕至】
 耕至が滝を登り切るところで、叩きつけるような雨になる。中段の3人は耕至からのロープを待つ間にカッパを着込む。着終わった頃にロープが降りて来た。耕至のセットの早さに感心しながら落ち口を見上げると、本降りになってまだ数分というのに、明らかに水量が増え始めていた。
 高橋に続いて自分が登る。とにかく早く抜ける必要があるので、ホールドに迷うところはロープをつかんで登り終える。
 「増水は必至、この落ち口に居てはまずい。」と考え、上部の偵察に行く。【今野】

(写真2 今野が登って行った滝)
12時45分
 最後の片山は高橋が確保して登る。このころから雨脚はかなり強く叩くようになり、耕至は高橋に勧められ雨具を着はじめた。涸沢状であった水量は増え強い流れとなってきたが、登攀ルートが水流から外れていたために片山は登攀できた。雨脚は写真に明瞭なほど強い。登ったとたん、急激な増水が始まった。【耕至】
12時47分 写真1 登攀中の片山
 この時点で今野は偵察に行くと断って確保している上部の緩い滝の上部にいたが、滝を写すと(写真2)登攀ができないほど水量は激しくなっていた。【耕至】
 緩い滝を登り水流に背を向け、灌木に支点を作っていると、不意に水音が大きくなった。振り向くと、それまでとは違う急激な増水が始まっていた。支点の設置場所では増水に耐えられないので、水流を渡って対岸(右岸)に行く。渡りながら下流を見ると、登って来た緩い滝は5mほどの全幅にわたり白濁した水流となり、とても登れるような状態ではなかった。「片山は未だ登っていないだろう……」と危惧したが、為す術もない。【今野】
12時54分
 あっというまに「水の壁か、水の天井が落ちてくる」ほどの猛烈に激しくなり、今野が無事なのかはわからなかったが、写真3では岩の手前に青い雨具が確認できる。【耕至】 

(写真3 写真2より少し右に引いたアングル 上部)
 水は尚も凄い勢いで増え続け、自分より下流はもはやダムの放水口のような、巨大な水流。(写真3)水は茶色だが、激しく泡立ち真っ白に見える。空中を飛ぶ水流には石がかなり混じっている。灌木から何とかセルフビレイを取り、岩に貼り付くようにして立っているのがやっと。下の藪にヘルメットが2つ見えたが、3つ目が見えない。「やはり片山はだめか……」と落ち込み、次に目をやると、ヘルメットは全て見えなくなっていた。一時は「3人ともやられた。」と思い込んでいた。【今野】
 高橋、耕至、片山の3人は背後が急な笹の密薮だったため動けず、登るために設けてあった支点からセルフビレイをとるだけだった。足元を水流が洗ってきたため上部脱出も考えていたが、もしビレーを解除して滑ることを想像すると、目の前の激流(写真4)に気押されてできなかった。【耕至】

(写真4 写真1とほぼ同じアングルから 下部)
13時07分
 滝の落ち口の先、茂倉岳の斜面には、谷筋に幾重にも太く白い水流が現れていた。 【耕至】 
13時09分
 多少水が減り初め、上部にいた今野が確認できたので、こちらは無事というサインを送る。交信時間外だったが、無線を発信して安否を問うた(交信できず)。【耕至】
14時ごろ
 水量が減ったのを確認して遡行を再開する。【耕至】
反省  佐藤(耕)
 右俣に入った時点で、降雨があっても大丈夫だろうと思い込んでいた。高橋さんと複数回そう会話を交わしたのを覚えている。今野さんはむしろ上部のほうが狭くて集水することを懸念していたようだ。
 右俣より上は顕著な枝沢もなく、押し流すほど集水することはないだろうという「想像」と、2000年に湯檜曽川で起こった鉄砲水はいくつもの沢を集め、さらに雪渓崩壊をともなったもので、稜線まで標高差150〜200mの源頭の詰めといえる場所では鉄砲水は起こらないと「勝手に解釈していたこと」が、この状況に直面して茫然自失することとなった。
 強く雨脚が叩いてから水量が遡行不能になるまでは約1〜2分といってよく、稜線にいた登山者の話では雷鳴とともに雨が降り出したということであり、1450mで降られた時点で上部はすでに集水していた。集水が1分でも早ければ、滝登攀中の片山さんと確保中の高橋さんは滝下に押し流され、圧倒的な水にまかれていた。間に合ったのはむしろ偶然といえる。
 実際に降雨があるだけでなく、雷鳴を感知したり上流部で降雨の兆候が認められたりした場合は、源頭下部などにかぎらず、退避できる場所を選んで水量などの様子をうかがいながら行動し、登攀やゴルジュ通過など水量増加によって退避でき なくなる可能性のある行動は慎むべきで、もしそうした行動中ならば速やかに収束すべきだと反省する。
なお当日は最も近い湯沢で降雨を観測していない。雷を伴ってめまぐるしく移動し、まだらに降る山岳部の集中豪雨は地上雨量計では把え切れない。天気予報はもちろん、当日の朝からの天気も1時間ほど前までは不安な要素は少ない。予報を前提にして入山を控える判断が行われなかったのは当然であり、局所的な変化に対して現場で鋭敏に対応するしかないといえる。

報告と反省  高橋
 奥ノ二股を過ぎ、時間は12時、標高1400〜1450m辺りで、稜線まで200m足らず。源頭に達した地形に「これで増水の危険はなくなったな」と感じていた頃です。
 25m位のナメ状の滝(水量が少ない時には涸棚だろう)で安全の為、佐藤(耕)Lがロープを引く。固定準備中にポツポツしていた雨が本降り状態に。下の3人は急ぎ合羽を着込む。急に空は真っ黒。昼とは思えない暗さだ。
準備できたロープに登降器を付けて、私、今野さんが登る。登攀は難しい事はなく、スムーズにビレー点へ。佐藤(耕)さんと交代して私が片山さんを確保する。この頃から次第に水が増え始めた感じがあったが、登攀に差し支えるほどではなく登り終える。ロープを片付け終わり、上を振り仰ぐと増水した水の壁が迫って来た。あっと言う間だった。ビレー点で3人がセルフを取る。今野さんは一段上の滝上に居る。溢れ返る増水が狭い滝状を猛烈な勢いで猛り狂うが如く落ちている。本当に肝が縮んだ。
 あと1分登り終えるのが遅かったら、少なくとも片山さんと私はロープに繋がれたまま飛ばされて、息が出来ないままに窒息していた事は間違いなく、「運が良かった」としか言いようがなく、登攀が終わるのを待っていてくれた「山の神様」に感謝したい。
 時間的経過は
・雨の降り出し(本降り)から増水まで:約15分
・増水ピークから減水で:約35分
 このときの状況は佐藤(耕)さんがデジタルの動画で迫力ある絵を残しています。改めて凄まじい光景です。
反省
1、この頃から上は「ゴロゴロ」なっていたし、ガスもかかり始めていたが、稜線まであと200m弱の集水域も減った源頭に達していたので、万一増水してもたいしたことはなかろうとタカを括っていた。「谷川」を知らな過ぎたと感じる。
2、私の歩みが遅く、ここまで来るのに私抜きなら「30〜45分」は早めることが可能だったと思う。
こういった気象情報下で、スラブ系の渓に入る場合はスピードを重視しなくてはいけない。反省を込めて報告します。

反省  今野
 全員の生還は単なる偶然。雷雨の襲来が1分早ければ、片山は還らなかった。また、数分遅ければ、全員が上部の緩い滝上をノーザイルで登っている最中に激流に飲み込まれていたかもしれない。早出と、スピーディーな行動はリスクを小さくするが、昔のようにスピーディーな行動ができなくなっている我々おじさん、おばさん(片山はまだ違うか?)は、「臆病者」と言われようが、「不発」が多くなろうが、雷雨予報が発せられている時には沢になど入らない方が良い……というのが正直な感想。近年、温暖化で気象のブレは四季を問わず大きくなって来ているようだ。『冒険ゴッコ』に真剣に興じる人間にとって、臆病であることはますます重要な資質と言えるのかもしれない……と言い訳をしながら、雨の日には映画でも観に行き、晴れてしまった場合にはサイクリングを楽しもう。



資料-1
猫まくり
「猫まくり」。群馬県水上町の地元では、鉄砲水をこう呼ぶ。壁のように押し寄せる水の波頭が、猫の前脚のように曲がる様子から来た言葉だ。同町では鉄砲水は決して珍しくはない。多くは小型だが、大人の背を超すほどの大規模なものは、河川敷で工事中の重機群を押し流す力を持つ。道路が冠水して車が通れなくなるぐらいの出水は珍しくない。
湯桧曽川のそばにある群馬県谷川岳登山指導センターで、14年間、指導員を務めている木村今朝夫さん(53)は、「昔このあたりの川で遊んでいた子供は一、二度は猫まくりを経験していた」と話す。生暖かい風が吹き、ミミズをいじったような泥くさいにおいがしたら、それが「猫まくり」の前触れだった。ふもとで雨がだらだら降り続いているときは起きず、山頂近くで短時間にまとめて降った雨が、岩肌を滑って一気に下流まで流れる。地元の人間は川に行くときは、常に「奥」を気にしながら歩くのが常だという。

資料−2
表層特性、降雨特性、地形特性から鉄砲水の発生確率の地域分布を求め、この結果を地元に提示することにより地元住民の啓蒙を図ると共に、入山者対策とする。
1.群馬県における鉄砲水発生確率の地域特性と入山者対策
群馬大学工学部  小葉竹 重機
〔目的〕 略 
〔内容〕 平成12年8月に谷川岳で発生した鉄砲水は、その後の調査で「ねこまくり」と呼ばれ、谷川岳周辺の渓流では毎年2、3度は見られる現象であることが分かった。その発生の要因は大きくは3つに分けられる。1つは植生がほとんどない岩肌がむき出しの支流があること、2つ目はその支流に雷雨のように局所的な強い雨が降ること、3つ目は合流後の本川の勾配が大きいこと、である。(中略)それを支配するのは前述のように、表層特性、降雨特性、地形特性の組み合わせであり、(中略)群馬県におけるこの現象の地域発生確率をとりまとめ、これを地元に還元し、地元住民のみならず地元を訪れる観光客にも注意を促すことを目的としている。
〔結果〕 前述の3要素の分布について、まず1)露岩・裸地の多い地域は、@水上町、とくに露岩が集中するのは芝倉沢、一の倉沢などの谷川連峰の周辺、A新治村の北部山地(谷川岳、万太郎山、仙ノ倉山)、B草津町の草津白根山頂付近、C嬬恋村、長野原町にかけての浅間山麓、D松井田町、下仁田町にかけての妙義・荒船地域、つぎに、2)雷雨の多い地域は、@六合村から新治村にかけてと松井田町から県央の榛名山、赤城山にかけて、ほぼ2日に一度以上、A水上町、嬬恋村は2日に1度程度、また、県南部や片品川中央部を除けば、他の地域でもこれに近い頻度、また、3)河床勾配については、どの地域でも上流部はkinematic waveの流れとなるに十分な勾配である、ことがわかった。以上の結果から、群馬県における鉄砲水の発生頻度を検討してみると、今回発生した谷川岳の鉄砲水よりも頻度が高くなるのは、新治村の上流山地、浅間山周辺、妙義・荒船地域である。ただし、これらの条件の上にさらに浅間山周辺は浸透性の高い溶岩が広く分布すること、妙義・荒船地域は露岩・裸地の分布数は多いが1つの流域に対する集中度は小さいことなどを考慮して、結局、水上町よりも鉄砲水の発生頻度が高いことが予測されるのは新治村上流域であることがわかった。この地域は村によってキャンプ場などが整備されており、夏期には都会からの入山者も多いことから、行政は入山者に対して注意を呼びかけることが必要である。