TOP2005年記録

臆病者と言われても…

谷川連峰/万太郎谷イシクラ沢 (沢登り)

石井

【日時】 2005年9月3日(土)〜4日(日)
【メンバー】 石井(L)、佐貫、長汐

 会山行我がパーティーは当初、流域随一の登攀的な沢と言われるオタキノ沢遡行の予定であった。わらじの記録にあるように、日帰りでチャレンジしては…という意見もあったが、自分を含めてメンバーの力量と、先々週に井戸小屋沢から遠望した崩壊?が気になり、順当に一泊での予定とした。沢中で泊り場所があるのかは甚だ疑問ではあったが、まあ、出合に泊っても早出すればいいだろう、程度に考えていた。
 仮眠場所では前夜遅くまで飲んでしまったが、今日は上まで抜けるつもりは無いので、気楽な心持ちで皆と分かれ、万太郎谷に先行して入る。美しいナメ地帯、いきなり現れる換気搭、そしてずぶぬれになりながらオキドウキョのトロの突破と、自分にとっては3度目の万太郎本谷、勝手知ったものだ。といいたいが、どうしてどうして、これが結構楽しく、新鮮な印象なのである(記憶力が悪いだけか?)。
 大栗沢出合まで来ると、前方に大野パーティーのルート、デトノタキ沢のスラブが結構立って望まれる。彼らはあれを登るのか…。ほどなくその出合を過ぎ、クランク状に沢が曲がった先が一ノ滝だ。前2回は学生との山行なのでさっさと巻いてしまったが、今回は足慣らしの意味も含めて左壁を登ることにする。石井リードでW級35m程度の快適なピッチ、続いて長汐君が難なくフォロー、佐貫さんが慎重にラストをまとめて、40分程度で登りきる。少し先で左から、オタキノ沢が流域面積の割に小さな流れで合流している。そこにはあつらえたような快適そうな幕場跡があった。
 さて、どうするか?まだ12時前だが、雲行きは怪しくなってきているし、バッチリタープを張って備えた方がいいか?一応オタキノ沢に少し入ってみるが、案の定その上は見事にスラブが展開している。結局、薪を集めてそこに泊る準備に入る。ツエルトを高みに張ってタープを張り、薪を切って焚火の準備をしていた。ポツポツきたかと思いきや、5分としないうちに土砂降りとなり、さらに5分くらいでオタキノ沢が一気に増水、本流の倍以上の大水量に。それでも焚火予定地は耐えていたが、徐々に本流も増水、とうとうタープの下にも水流が流れる有様。広い谷幅で河床から50cm以上は高かったが、甘かった。いつでも逃げられる態勢でしばらく静観していると、30分ほどで雨は徐々に小降りとなり、オタキノ沢は減水してきた。焚火を点けてひと安心だが、本流は増水が遅かった分、減水も遅かった。ふと下流を見ると鈴木パーティーが一ノ滝上で減水を待っており、しばらくして合流することができた。  その夜は鈴木パーティーと合同で泊まり、いつもの夜の時間が過ぎていった。しかし、ラジオの予報は決して日曜は好天とは告げず、迷いに迷った。

 結局結論が出ないまま翌朝を迎え、出発時に安全策、ということで「ルート変更」で稜線に向かう判断を下した。二ノ滝の上で手嶋パーティーと合流し、しばらくゴーロの沢を共に登っていく。スラブが遠望されるオコマタケノ沢の出合で分かれ、こちらは何も無いイシクラ沢を黙々と登っていく。背後の三ノ滝沢一ノ沢(オジカ沢)などの岩峰群の景色はなかなかで、きっと田邉パーティーは予定通り登っていることだろう。ようやく出てきた2段12mの滝を左から越すと岩場が迫り、奥まったところに20mの滝らしい滝が現れた。ここは右のワイドクラックを石井リードで登り、唯一登りらしい登りであった。そこから上は滝ともスラブともつかない岩場が続き、ぐんぐん高度を稼ぐ。最後は藪漕ぎも一切無く、快適な草原で一ノ倉岳寄りの稜線へと抜けることができた。茂倉岳山頂で手嶋パーティーと再度合流、会山行らしく他パーティーとの無線交信を楽しみながら茂倉新道を下った。

 結果的には、予定の沢を遡行しなかったのはうちのパーティーのみであった。各パーティーの様子と判断はその記録を参照してほしいが、無事に帰ってきて、なおかつ一応記録として残す程度のところに行ったのだから、まあ良しとしよう…。

【行程】
9月3日 吾策新道登山口(7:40)〜ソエ越ソネノ沢出合(10:00-20)〜オタキノ沢出合(11:40)
9月4日 オタキノ沢出合(5:55)〜オコマタケノ沢分岐(6:40/55)〜稜線(9:50)〜茂倉岳(10:05/35)〜矢場の頭(11:45/12:10)〜茂倉尾根登山口(13:40)
【地図】土樽、茂倉岳
【グレード】2級



上左:本谷  下左:オタキノ沢(いずれも増水時の様子)
上中:イシクラ沢唯一の滝らしい滝  上右:源頭部の渓相  下右:稜線直下は草原となっている

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